2022年12月22日 (木)

2023年筮(冬至の日に) と 東洋占術カンファレンスの番宣

今日は冬至です。(ここんとこ恒例になっていますが)翌年の年筮を立ててみました。易者の間では、冬至の日に翌年1年の運勢を占う「年筮」を立てるという習わしがあります。
その前に、昨年立てた年筮と今年1年の振り返りを。

去年得た卦は「隋」の三爻変でした。そこで僕は「単純に解釈して、人にしたがって吉。今年は「俺が、オレが」の態度は慎んで、人の言うことを素直に聞いた方が良い、ということのようです。広く解釈して、自然にまかせる、流れに乗る、小賢しく考えた自分の都合は引っ込めて、万事、天に委ねるのがよろしい、ということかもしれません。また「したがう」ですから、自分ひとりでやるよりも仲間にしたがって、仲間と協力してやることの方がいい結果を出す、ということなのかもしれません。 」と解釈しました。

で、結果はどうかということですが、まずは年明けに「第一回東洋占術カンファレンス」に参加させていただきました。 前にもご紹介いたしましたが、気鋭の占術研究家、田中要一郎氏からお声がけをいただいて参加させていただいたのですが、参加してみて自分の講義はともかく、名だたる各先生方の講義はそれぞれ深く興味深く、大変勉強になりました。また各先生方とオンラインで色々と意見交換できたのは有意義でした。まさに「また「したがう」ですから、自分ひとりでやるよりも仲間にしたがって、仲間と協力してやることの方がいい結果を出す 」ということだったのだと思います。そのほか、一年を通じていろいろなこともありましたが、自然に任せるということを心がけてきた一年だったと思います。

さて、翌年を占って得た卦は「姤」の四爻変。
一般に「姤」 は女性に注意と言われています。ただ初代銭天牛氏の解説には、女性関係の仕事には吉。女性に助力を得るのも良い。とあります・

変爻を見ると「包みの中に魚なし」とありますから、もらった(得た)ものも、開いてみたら空っぽだった、ということですね。広く解釈すると、どうも空振りに終わることが多い一年のようです。なので、そんな年もあるや。と大きな期待はせずに、欲は抑えて過ごすことにいたしましょう。また、うまいもうけ話があっても空振りに終わることがあるようなので、よくよく注意することにいたしましょう。またもっと広く解釈すると、空っぽの包みだから、自分の部屋の中を空っぽにするということなのかも知れません。一昨年、その前の年の年筮の時にも書きましたが、「断捨離」というテーマはなかなか進んでいません。ので、易の神様は、とっとと断捨離せい!と言っているのかも知れませんね(笑)


ところで、前のエントリーにも書きましたが、来年の年明けに開催される「第二回東洋占術カンファレンス」にも参加させていただきます。ついては事前に無料のZoomイベントが行われます。まあ番宣というやつで、講義の概要や講師の紹介などが行われるようです。僕の回は12月26日(月)22時〜23時、です。急な話で恐縮ですが、どなたでも無料で試聴できますので、ご興味のある方はこちらのリンクからお申し込みください。

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2022年1月 3日 (月)

2022年筮(冬至の日に)

あけましておめでとうございます。
年も明けましたので、年筮の話題から始めたいと思います。

先日、冬至の日に翌年の年筮を立ててみました。
易者の間では、冬至の日に翌年1年の運勢を占う「年筮」を立てるという習わしがあります。
その前に、前年立てた年筮と去年1年の振り返りを。

去年得た卦は「損」の四爻変でした。その詳細は去年の書込みを見ていただきたいのですが、そこで僕は、今年はとにかく断捨離をしなければいけない、というふうに解釈しました。

で、結果はどうかと言うと(私ごとなので詳細は省略させていただきますが)、数年来の懸案であった大きな断捨離を実行しました。大変だったけど、やれやれやっと片付いた。肩の荷が下りました。易の神様にハッパかけてもらったおかげです。また、小さな断捨離- 資料や書籍や記録などを整理して不要な物を処分する- 要するに部屋を片付ける-ということにも着手しました。なにせ何十年と整理せずカオスな状態の部屋を片付けるのですから、とても1年では片付くわけもなく、今年も継続課題といたします。

さて、翌年を占って得た卦は「隋」の三爻変。
単純に解釈して、人にしたがって吉。今年は「俺が、オレが」の態度は慎んで、人の言うことを素直に聞いた方が良い、ということのようです。広く解釈して、自然にまかせる、流れに乗る、小賢しく考えた自分の都合は引っ込めて、万事、天に委ねるのがよろしい、ということかもしれません。また「したがう」ですから、自分ひとりでやるよりも仲間にしたがって、仲間と協力してやることの方がいい結果を出す、ということなのかもしれません。いずれにしても「元亨利有咎无」ですから、いい感じの一年を過ごせそうです。

また変爻を見ると「丈夫(大人)をくくり、小子(子供)を失う」とありますから、小さい損失はあっても、大きな損失は無いようです。ここでも「隋有求得」と有ますから、やはり人にしたがって利益を得る。人にしたがって吉、ということのようです。

いずれにしても、今年は自分を抑えて謙虚に、周囲の状況にしたがって過ごすことといたしましょう。

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2020年12月22日 (火)

2021年筮(冬至の日に)

昨日は冬至でした。易者の間では、冬至の日に翌年1年の運勢を占う「年筮」を立てるという習わしがあります。 ということで今年も冬至に来年の年筮を立ててみました。

得た卦は「損」の四爻変。

なんだこれわ!去年の卦(つまり今年の年筮)と同じでわないか!!
そう言えば前にもこんなことがあったっけ。2年続けて同じ卦を得る。その時は易の神様から「今年言うた目標、ぜんぜんでけてまへんなあ。しゃあない。今年も続けてその課題を気張ってやりなはれ。」と言われたような気がして、こちらにもそう書いた記憶があります。ということは、易の神様は今度もまた、今年できなかった課題について来年また再度トライせよ、と言っているのでしょう。

去年の年筮のエントリーにも書いた通り、今年の目標のひとつは「断捨離」でした。で、結果と言うと、ようやく長大な断捨離課題に着手した、と言ったところでしょうか。まあ一歩を踏み出せたのではありますが、完了にはまだまだ先があります。ということは、今年はなんとしてもその課題を進め完了させよ、と言うことなのでしょう。はい、易の神様。今年こそ頑張ってお告げに従います。

他に「損」の卦辞には「捕虜を得る。大いに吉。災難はない。占問したことには結果が得られる。」(易経 三浦國雄 角川文庫 p.166)とありますので、決して悪くはない。というかむしろいい卦です。

さらに六四の爻辞には「その病気の苦痛を損らすには、早く処置せよ。そうすれば病気も治って災難も免れる。」(易経 三浦國雄 角川文庫 p.166)とあるので、そのまま解すると、病気は早期発見早期治療に心がければ大事なし、という意味に取れます。この病気(疾)を問題やトラブル、と意味を広げて解釈すれば、何か問題やトラブルがあれば、すぐに対処すれば大事なく過ごせる、ということなので、何かあっても後回しにはせずにすぐに対処することにしましょう。というか、とっとと「断捨離」を進めなさい、ということなのでしょう。

あと、去年の年筮のエントリーにも書いたのですが、三浦國雄氏の易経によれば、損には(1)下を損(へら)して上に益(ま)す。(2)剛を損して柔に益す。(3)満ちたるを損して虚なるに益す。の3義があるということです。 そこからこの断捨離、片付ける、整理する、という解釈に至ったのですが、いわゆる「損して得取れ」、ということにも通じます。長くなるので具体的なことは省略しますが、思いつくこともあるので、少しトライしてみようかなと思っています。



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2019年12月26日 (木)

2020年筮(冬至の日に)

今年も冬至に来年の年筮を立ててみました。易者の間では、冬至の日に翌年1年の運勢を占う「年筮」を立てるという習わしがあります。
その前に、去年立てた年筮と今年1年の振り返りを。

去年得た卦は「山風蠱」の三爻変でした。その詳細は去年の書込みを見ていただきたいのですが、そこで僕は、今年は流れが大きく変わるとき、古きものが終わり新しきものがはじまる、というふうに解釈しました。面白いことに、一昨年立てた年筮も同じ「蠱」。なので、易の神様に「今年は新しいことにチャレンジして流れを変えんとあかんかったのに、もひとつでんな。ほたら来年もっかいやりなはれ。」ってハッパかけられたんだろうと解釈しました。

で、結果はどうかと言うと、一晩寝たら年筮の得卦も易の神様の言葉もすっかり忘れ、特に新しいことに頑張ってチャレンジ、ということもしなかったような気がします(^^;; 何のための年筮だ!(笑) まあ新しいことと言えば、旧知のヘイズ中村氏が声をかけてくれて、彼女が主催する「FortunaMoon神秘の大学院」で紫微斗数の講座をはじめたこと、風水の師匠が紫微斗数の講座をはじめたので、それに参加して、また東京通いを再開したことでしょうか。でもまあ占術の講座は毎年新しいものになったりするし、特段「新しいチャレンジ」と大見栄を切って言うことでもありません。それ以外は平穏な1年でした。

ただ、この1年はマンネリでもないのでしょうが、何事も面倒で、どうもヤル気が出ない、というところはあったかな。老人性鬱かとも思ったけど(笑)それほどのことでもない。そういう意味で「蠱」だったのかも知れません。「蠱」 は皿の上に虫がわくという字で、腐る意味もあります。なんか気分がクサっていたのかも知れません。面倒さに負けずに果敢にものごとにチャレンジしなければならなかったかな、と。これは今年の反省です。

さて、来年を占って得た卦は「損」の二爻変。
これを見て、ああなるほどな、と、ひとり納得してしまいました。

これに先立ち、来年に向けて3つほど目標を立てたのです。そのうちの2つは、いろんな意味で「片付ける、整理する」という意味を持っています。断捨離と言ってもいいでしょう。目標を持つ人生とはオサラバしたつもりなのですが、いつまでたっても片付かない。このままだらだら放置してもどうしようもない。それこそ蠱 (くさ)ってしまいます。そこで来年は一大勇猛心をふるって片付けよう、と。少なくとも着手して何らかのケリをつけようと思ったのです。

三浦國雄氏の易経によれば、損には(1)下を損(へら)して上に益(ま)す。(2)剛を損して柔に益す。(3)満ちたるを損して虚なるに益す。の3義があるということです。減らすことは片付ける、整理する、断捨離に通じます。来年は片付けるべき懸案課題に向き合う年になりそうです。卦辞の「孚有り」を三浦氏は「捕虜を獲る」と訳しているので、そうすることで何か得物、成果を得るのかも知れません。

また二爻の爻辞には「征けば凶」とあるので、なにごとも自分からガツガツと手を出すのはよくない。来るのを待っている、という1年なのでしょう。来るのを待つということは、裏を返せば依頼されたことについては誠意をもって当たれということです。来年はそのことを心がけたいと思います。

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2018年12月23日 (日)

2019年筮(冬至の日に)

昨日は冬至。
ということで、今年も年筮を立ててみました。易者の間では、冬至の日に翌年1年の運勢を占う「年筮」を立てるという習わしがあります。

得た卦は「山風蠱」の三爻変。
なんか面白い。実は去年得た卦も同じ「蠱」卦だったのです。去年の書き込みはこちら
 
そこに書いてあるとおり、今年は流れが大きく変わるとき。古きものが終わり新しきものがはじまる。というふうに解釈しました。で、今年はどうだったかと言うと、確かにある意味流れが変わったこともありましたが、それは受動的なもので、自分ではそんなに大きく変わったという印象もなく(家内に言わせると格段に家事スキルはアップしたらしいですが(笑))、術数方面での活動が少し変わったくらいでしょうか。あるいは俗に言う腐敗という事象があったかというと、そういうこともない。
 
なんか易の神様に「今年は新しいことにチャレンジして流れを変えんとあかんかったのに、もひとつでんな。ほたら来年もっかいやりなはれ。」ってハッパかけられたみたいなーww
 
来年はちゃんと大川を渡ろう(笑)。今年は流れが大きく変わるときではあるが、まだ積極的に打って出る運勢ではない。でも来年はもうちょっと積極的に行動してもよさそうです。
 
また九三は「父の蠱を幹す。少しく悔あれど大なる咎なし。」とありますので、先年旅立った父親の遺品整理にやっと取りかかる、ということかも知れません。あるいは、なにか師匠や先輩・仲間の仕事を手伝うことになる、のかも知れません。
 
ということで、終えるものは終え、くぎりをつけるべきものはくぎりをつけ、始めるものは始め、次の流れに乗る。そんな1年にしたいと思います。

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2017年12月25日 (月)

2018年筮(冬至の日に)

昔からなぜか易者の間では、冬至の日に次の1年の運勢を占う「年筮」というものをやる習わしがあります。まあ、来年の運勢を占い、どんなことがあるかを予測するのは紫微斗数でもできる(というか僕はそれでやっていますw )のですが、ここ数年、冬至の日の年筮も立てています。

今日はクリスマス。ですが一昨々日は冬至の日。なので今年も冬至の日に年筮を立ててみました。その前に去年の年筮と今年一年を振り返って。。と書くところなのですが、去年の年筮はアップしてませんでした(^^;; おっかしいなあ。立てたはずなんだけどなあ。何だったか忘れちゃった。ということで、自分の記録の意味も兼ねてアップします。

今年の年筮は山風蠱の四爻でした。「蠱」は蠱惑の蠱。いろいろな説や解釈がありますが、おおむね「腐る」という意味に解すことが多いようです。ということはあまりいい意味ではない。でもそう解するのはあまりにも短絡で、銭天牛氏は「銭流易経」のなかで、「大凶の卦か、というと、そうではない。(中略)オール・ブッコワレのときは、すなわち新規まき直し。再出発、再建のときでもある。午前零時は、一日のオワリでもあり、一日の始まりでもある。「終わるときは、則ち始め有り」ーそれが自然であり、人生です。」と語っています。

銭天牛氏の解釈だと、なにか今までの流れが大きく変わりそうな気がします。従来の方向や取り組みが一旦終わり、そしてまた新しい方向や取り組みが始まる。

そういえば、今月、この12月は自分にとっていろいろと終わるというか、ひとくぎりついた月でした。もう30年にわたって、僕がいた会社の仲間たちと毎年12月に旅行会をしていたのですが、それが今年で終わりということになりました。また(師匠の許可を得たのでちょっと書きますが)この2年あまり香港の老師について風水を学んでいました。と言っても毎月香港に行くのではなく、その師匠は東京にも事務所を持っているので、東京に通っていました。それが今月で最終講義、卒業となりました。ひとくぎりついたわけです。また、東京の自分の研究会も、人数が集まらなくなったので東京は今月で一時休止することにした。などなど。。

三浦國雄氏の「易経」の訳によれば「蠱。万事順調にゆく。大河を渡るのによい。吉日は、甲より三日前の辛と、甲より三日後の丁の日。」六四「父の不祥事に寛大である。出かけて行けば面倒な目に遭う。」とあります。

どうも、古きものが終わり新しきものが始まる。ひとつの流れが終わり新たな流れが始まる。しかし、まだ来年は自分から積極的に動くのではなく、来るものを拒まず、流れに合わせた方がよい。また先輩や先人の誤謬やミスには寛容でいなさい。そのように解釈できそうです。

実は紫微斗数で見ると、僕の大限は来年から新しい次の大限になります。つまり運勢の大きな流れが変わるということです。術数の研究だけで言うと、今年紫微斗数全書の翻訳をはじめたことで、文献研究をもっと充実させたいという気になっています。また、生徒さんから教えてもらった北派斗数の文献を入手したので、そちらの方も少し研究をしてみようか、そんな気持ちにもなっています。術數以外のことについても、何となく変化の兆しを感じています。斗数の大限は10年単位なので、来年という1年がどうなるこうなる、というのではないのですが、来年はその運勢の流れが変わる最初の年、ということになるのでしょう。

はてさてどんな年になるのか、興味津々です(^^

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2015年12月23日 (水)

2016年筮(冬至の日に)

昔からなぜか易者の間では、冬至の日に次の1年の運勢を占う「年筮」というものをやる習わしがあります。まあ、来年の運勢を占い、どんなことがあるかを予測するのは紫微斗数でもできる(というか僕はそれでやっていますw )のですが、ここ数年、冬至の日の年筮も立てています。

  去年の年筮の書き込みはこちら
  一昨年の年筮の書き込みはこちら

今年も立ててみました。でもその前に、まずは去年の結果を振り返ってみます。

去年得た卦は「地雷復」。

去年のそのエントリーにも書いていますが、地雷復は冬至を表す卦でもあります。冬至の日、特に去年は新月が重なる朔旦冬至だったので、そんな日に立卦して地雷復という冬至の卦を得たのは、とても印象的でした。なので思わずブログに書いたのです。

で、結局去年はどんな1年だったのか?

そこ(去年のエントリー)にも書きましたが、一陽来復と言うほど一昨年が悪いというものでもなかったので、この「一陽来復」をどう解釈すればよいのか、はてさて、頭をひねりました。この1年を振り返ると、講義・研究活動は一昨年の継続で、さほど大きな変化はありませんでした。ただ、東京研究会のメンバーが少しずつ増えてきて、実践練習主体になったこと、福岡でも少人数ながら研究会が発足したこと、などが変わったといえば変わった点でしょうか。

また冬至を一年の切り替わりとして運勢を見れば、去年の年末にはじめてコミケに参加して同人誌を出展しました。コミケでの売上はさほどでもなかったのですが、コミケ後に口コミなどで順調に在庫がはけました(まだ在庫は残ってるんですが)。前にご紹介したように、今年の年末の冬コミにも出展します。

それと自分として大きなエポックだったのは、「紫微斗数実占ハンドブック」を発行できたことでしょうか。

ズバリ一陽来復だったのかどうかはよくわかりませんが、そうして振り返ると、今まで準備していたものを、とりあえず一矢放ってみた、という感じな年だったのかなあ。

復卦は初爻が陽爻で、あとはすべて陰爻。図にかくとこんな感じ。

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自分ではよくわからなかったので、先日ある研究会で生徒に聞いてみたところ、「先生!やはり今年はまず本を1冊出したということですよ。」とのご意見を賜りました。てことはこれからあと5冊本を書かにゃならんということか(笑) いあ、5冊どころか8冊分くらいの構想はあるんだけど。。 でも本を書くのがこんなに大変だとは思わなかったよ(^^;; いったい何年がかりになるだろう。

>>紫微斗数で見ると来年の僕の運勢は、とにかく仕事が忙しくて(よく言えば充実して)ヘロヘロになって、逃げ出したくなるような1年、てな感じなのですが。。

と、去年書いたのですが、確かに「ハンドブック」は何度も何度も書き直して編集もやり直して、書いててヘロヘロになりましたww 途中で投げ出したくなることも一度ならず。


はてさて、では来年はどんな年になるのか。
昨日、今年の冬至の日に得た卦は「天風姤」の四爻変でした。図に書くと次のとおり。

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去年の「復」卦と比べると、ちょうど各爻の陰陽が逆転した卦です。なんか面白い。ようでけてるなあ。んじゃ、来年は今年と真逆なことが起こる年?真逆ってなんだー?? 先ほどの生徒さんの解釈の流れで行くと、今年は本を5冊書く?んな無茶な(>_<) コミケの同人誌も冊数に入れていいかな?(笑) 

姤の卦辞には「その女は傷ついている。娶ってはいけない」(三浦國雄「易経」角川文庫p.178)とあります。いあ、今さら結婚するなんてあーた、んなことありゃせんがな。というのはあまりにも直裁的な解釈。

銭天牛先生の「銭流易占」によれば、姤は皇后の「后」に通じ、エライ女性がからんでいるとあります。エライ女性から引き立てを受けるのか、はたまたいぢめられるのか。うちで一番エライ女性はもちろん奥さん。しかし奥さんの尻の下に敷かれるのは、なにも今に始まったことではないww

また「銭流易占」には、邂逅の「逅」に通じるものもあり、不意の出会いやめぐりあいともあります。新しい人物や出来事との出会いがあるのでしょうか?

四爻の爻辞を見ると「包に魚なし。起てば凶」とありますので、なにかカラ回りすることがある?すっぽかされる。まあ、あまり欲を出すとろくなことがないということでしょうね。

ここで四爻を変じさせて之卦を出すと「巽為風」になります。

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これは風の卦です。
風に吹かれてひらひら舞う。ということで、ビラ、チラシ、手紙、TV、ラジオ、出版などが連想されます。今の時代、当ブログのような ITネットワークも表すでしょうか。うーん、メルマガでもはじめようかな(笑)

また、風に吹かれてうろうろ出歩く。来年はあちこちふらふらと出歩くことが多くなるのかも知れませんね。

来年は夏コミも受かるのかな?(^^

まあどんな1年になるのか。
楽しみにいたしましょう。


【追記】

術友の大石眞行氏も昨日ブログに冬至易のことを書いていて、とてもいいことを言ってます。

来年はどんな年にしましょうか?という問いが正しいのだと。
どんな年になりますか?ではないのだと。
そしてそのために何をしたらよいのか?と。
それを問うのが正しい占いの使い方なのだと。

いあまったくその通り。
いいこと言うなあ(^^

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2015年6月 5日 (金)

同窓生との酒宴

先月のこと、5月のゴールデンウィークの話である。

高校時代の同窓生数人と大阪梅田で飲んだ。高校時代、仲良かった(つるんでやんちゃしてたとも言う)何人かの仲間たちが、いつの頃からか盆暮れの帰省に合わせて集まって飲むようになった。とはいえ、消息不明の者や、その時々の仕事の都合やその他の事情などで、常時集まるのは3〜4人の、こじんまりとした会合である。

今回、そのうちのひとりT君から、連休に合わせて大阪に行くんで集まって飲めへんか、とメールがあった。都合がつく(ヒマであるとも言う)僕とM君とで、阪急梅田のガード下の店で一献傾けた。

これだけ長くつきあっていると、結婚、子供の誕生、子供の成長、転勤、会社を変わる、などなどそれぞれが人生の節目を経験し、そのつど近況報告も含めそんなことも話題にしてきたのだが、ぼつぼつお互い定年退職を迎える年齢になってきた。僕はこちらでも書いているように、一足早く会社を定年退職し、今は自由業という名の熟年ニートを決め込んでいる。まさかほんとに占い師になるとは思わなかったが、現在ささやかでも収入を得ているのは占いを通じてのみなので、占い師というか術数研究家というか、まあそういうことになるのだろう。

で、同窓生仲間にそんな話をしていたら、彼らは全く門外漢ながらも僕が占いというものをどう捉え、どう向き合っているか、なんとなく理解してくれている。竹馬の友とはありがたいものである(M君とは高校の同窓でもあるが、小学校からの同窓でもある。まさに竹馬の友だ。)

で、まあそんなおっさんたちが集まって飲む。互いの近況や昔話、さらには米朝師匠とうとう亡くならはったよな、もう近日講演やなく本日講演になってしもたな、などと最近の世間の話題なども肴に杯をあおる。そのころ関西では、5月17日に行われる大阪市の住民投票が話題になっていた。ちなみに僕もT君もM君も関西人ではあっても大阪市民ではないので、直接には関係はない。でもまあ、関西では大きな話題である。座がその話に及んだ時、なんならそれを占ってみようか、と僕は言った。「おお、おもろいなそれ、占ってみてくれ。」とT君もM君も身を乗り出した。

僕はポケットから6枚の硬貨を取り出しテーブルの上に投げた。得卦は雷天大壮の上爻変。僕はおもむろに解説をはじめる。

「これが易の卦やねん。下が天、上が雷。天の上で雷がゴロゴロ鳴っている、てな様相や。さあてこれをどう読むか。確かに今の状況、みんなの気持ちをよく表してると言えるな。勢いは強い、気持ちもたかぶっている、でもカラ雷という言葉もあるぞ。」

と言ったところでT君が感心したように言った。

「そうか、占いっちゅーもんはそういうもんなんか!易の卦をどう当てはめて読むか。それが占い師の腕、っちゅうもんやな。」

「せやねん。占いっちゅうのはそういうもんやねん。どこの占い探しても、大阪市の住民投票は賛成派が勝つとか反対派が勝つとか、そんなん書いてるもんなんか、あらへん。出た目をどない読むか。これが占いやねん。まあ、易の卦という象徴をどう森羅万象に当てはめて考えるか。言ってみれば、すべての事象をいくつかの象徴に関連づけて考える知的ゲームやね。」

占いには全くずぶの素人であるはずのT君が、はからずも占いの本質を突くようなことを言ってくれて、僕はすごく嬉しくなった。なので続けて爻辞も読み上げた。

「ちょっと待ってな。易はさらに細かいことが書いてる文章があんねん。いつも易経は持ち歩いてるから読んでみるな。『羝羊まがきに触れ退く能わず進む能わず、利するところなし、苦しめばすなわち吉。』どういう意味かというと、いきりたった牡羊が垣根に頭を突っ込んで、にっちもさっちもいかんようになった状態やな。で、何の利益もないが苦しんだら吉になると。」

それを聞いたM君がこう言う。

「羊というのを聞いて僕は市民を連想したな。これは羊すなわち市民が苦しむが、そのことによって市民にいいことがあると。ということはやっぱ賛成派が勝つんとちゃうか?」

僕はそれに応えて

「これはどっちかと言うと、おとなしい羊やのうて、血気盛んな牡羊のイメージなんやけどな。素直に読んだら血気盛んな方があかんくなる。せやから賛成派が負けそうに思えるんやけどな。ま、占いと言うても酔った席での占いや。易の神様は酔って問えば酔って答う、っちゅーてな、酔っぱらいには酔っぱろうて返してくれはんねん。ま、どうなるか、もうすぐ結果でるし、楽しみにしてよか。」

 
 
結局、大阪市特別区を巡る住民投票は僅差で反対派に軍配が上がり、特別区は白紙になったわけである。僕の卜占にしても、酔った上で占的も明確にせずにおもむろに硬貨を振った程度の占いである。(それにしては的確な卦が出たと思うが。)当たった当たらなかったという結果はさておき、占いには全く素人の友人が占いの本質を理解してくれた。しかも果敢に卦を読む(象徴解析)ということにもトライしてくれた、ということが嬉しくて楽しくて、こうして一文をしたためてみた。

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2014年12月23日 (火)

冬至の日に冬至の卦を得た話(2015年筮)

昨日は冬至でした。特に今年は19年に一度という朔旦冬至。
朔旦冬至については、ネットニュースのあちこちでネタにされてましたし、またいろんな人がネットでいろいろ書いてたので、詳しいことは省略します。まあ、要するに冬至と新月が一緒になる日なのだということ。

ということで、昨日、太陽と月の活動は極小を迎え、今日からそれぞれが活動を増やしていく。そんな日だから、ある意味すべてが改まるとき、新しい年が始まるとき。

ということなのでしょうか、昔からなぜか易者の間では、冬至に翌年の運勢を立ててみるということをやります。グレゴリオ暦の1月1日でも、節月の立春でも、旧暦の正月でもいいと思うんだけど、なぜか冬至に立てる。

で、昨日はそんな特別に新年を思わせる日だったので、僕も年筮を立ててみました。

で、得た卦が「地雷復 五爻変」。

これって、一陽来復と言って冬至の卦なのです。
冬至の日に冬至の卦を得る。

ううむ、なんかビンゴやん!
宝くじ買ったら当たるかな?
ああでも、年末ジャンボはもう終わっちゃったよ。


だめじゃん。


でも、一陽来復。
冬来たりなば春遠からじ。
冬を抜けて春が来る。

って、俺の去年って冬だったのか?
そんなに悪いことはなかったぞ。


そうそう。去年も年筮を立てたんだっけ。
http://the-fortuneteller.cocolog-nifty.com/blog/2014/01/post-9a6f.html

そんなに豊かな一年だったかなあ?
金銭的にはむしろしょぼかったよ。
でも、受講生用の資料が一応かたちになったし
出したいと思ってた資料も仲間の手を借りてかたちになりそうだし
精神的には充実してたかな。

あ。
確かにガラケーからスマホに変えたw
PCもリニューアルした(前のが動かなくなったので)ww


また、仲間と語らってネットを含めていろんなことやろうぜと
そんな話にもなっている。

なので「豊かな実り」というよりは、むしろ準備を整えていた1年という感じだったかな。

来年はその準備していたものが一陽来復で解き放たれる年になるのでしょうか?
でも五爻の爻辞には「敦く復る」とありますので、なにごとも真心を持って臨まなければいかんぞと、易の神様はおっしゃっておられるようです。


紫微斗数で見ると来年の僕の運勢は、とにかく仕事が忙しくて(よく言えば充実して)ヘロヘロになって、逃げ出したくなるような1年、てな感じなのですが。。


はてさて、どのような1年になるでしょうか。
楽しみです(^^

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