先月のこと、5月のゴールデンウィークの話である。
高校時代の同窓生数人と大阪梅田で飲んだ。高校時代、仲良かった(つるんでやんちゃしてたとも言う)何人かの仲間たちが、いつの頃からか盆暮れの帰省に合わせて集まって飲むようになった。とはいえ、消息不明の者や、その時々の仕事の都合やその他の事情などで、常時集まるのは3〜4人の、こじんまりとした会合である。
今回、そのうちのひとりT君から、連休に合わせて大阪に行くんで集まって飲めへんか、とメールがあった。都合がつく(ヒマであるとも言う)僕とM君とで、阪急梅田のガード下の店で一献傾けた。
これだけ長くつきあっていると、結婚、子供の誕生、子供の成長、転勤、会社を変わる、などなどそれぞれが人生の節目を経験し、そのつど近況報告も含めそんなことも話題にしてきたのだが、ぼつぼつお互い定年退職を迎える年齢になってきた。僕はこちらでも書いているように、一足早く会社を定年退職し、今は自由業という名の熟年ニートを決め込んでいる。まさかほんとに占い師になるとは思わなかったが、現在ささやかでも収入を得ているのは占いを通じてのみなので、占い師というか術数研究家というか、まあそういうことになるのだろう。
で、同窓生仲間にそんな話をしていたら、彼らは全く門外漢ながらも僕が占いというものをどう捉え、どう向き合っているか、なんとなく理解してくれている。竹馬の友とはありがたいものである(M君とは高校の同窓でもあるが、小学校からの同窓でもある。まさに竹馬の友だ。)
で、まあそんなおっさんたちが集まって飲む。互いの近況や昔話、さらには米朝師匠とうとう亡くならはったよな、もう近日講演やなく本日講演になってしもたな、などと最近の世間の話題なども肴に杯をあおる。そのころ関西では、5月17日に行われる大阪市の住民投票が話題になっていた。ちなみに僕もT君もM君も関西人ではあっても大阪市民ではないので、直接には関係はない。でもまあ、関西では大きな話題である。座がその話に及んだ時、なんならそれを占ってみようか、と僕は言った。「おお、おもろいなそれ、占ってみてくれ。」とT君もM君も身を乗り出した。
僕はポケットから6枚の硬貨を取り出しテーブルの上に投げた。得卦は雷天大壮の上爻変。僕はおもむろに解説をはじめる。
「これが易の卦やねん。下が天、上が雷。天の上で雷がゴロゴロ鳴っている、てな様相や。さあてこれをどう読むか。確かに今の状況、みんなの気持ちをよく表してると言えるな。勢いは強い、気持ちもたかぶっている、でもカラ雷という言葉もあるぞ。」
と言ったところでT君が感心したように言った。
「そうか、占いっちゅーもんはそういうもんなんか!易の卦をどう当てはめて読むか。それが占い師の腕、っちゅうもんやな。」
「せやねん。占いっちゅうのはそういうもんやねん。どこの占い探しても、大阪市の住民投票は賛成派が勝つとか反対派が勝つとか、そんなん書いてるもんなんか、あらへん。出た目をどない読むか。これが占いやねん。まあ、易の卦という象徴をどう森羅万象に当てはめて考えるか。言ってみれば、すべての事象をいくつかの象徴に関連づけて考える知的ゲームやね。」
占いには全くずぶの素人であるはずのT君が、はからずも占いの本質を突くようなことを言ってくれて、僕はすごく嬉しくなった。なので続けて爻辞も読み上げた。
「ちょっと待ってな。易はさらに細かいことが書いてる文章があんねん。いつも易経は持ち歩いてるから読んでみるな。『羝羊まがきに触れ退く能わず進む能わず、利するところなし、苦しめばすなわち吉。』どういう意味かというと、いきりたった牡羊が垣根に頭を突っ込んで、にっちもさっちもいかんようになった状態やな。で、何の利益もないが苦しんだら吉になると。」
それを聞いたM君がこう言う。
「羊というのを聞いて僕は市民を連想したな。これは羊すなわち市民が苦しむが、そのことによって市民にいいことがあると。ということはやっぱ賛成派が勝つんとちゃうか?」
僕はそれに応えて
「これはどっちかと言うと、おとなしい羊やのうて、血気盛んな牡羊のイメージなんやけどな。素直に読んだら血気盛んな方があかんくなる。せやから賛成派が負けそうに思えるんやけどな。ま、占いと言うても酔った席での占いや。易の神様は酔って問えば酔って答う、っちゅーてな、酔っぱらいには酔っぱろうて返してくれはんねん。ま、どうなるか、もうすぐ結果でるし、楽しみにしてよか。」
結局、大阪市特別区を巡る住民投票は僅差で反対派に軍配が上がり、特別区は白紙になったわけである。僕の卜占にしても、酔った上で占的も明確にせずにおもむろに硬貨を振った程度の占いである。(それにしては的確な卦が出たと思うが。)当たった当たらなかったという結果はさておき、占いには全く素人の友人が占いの本質を理解してくれた。しかも果敢に卦を読む(象徴解析)ということにもトライしてくれた、ということが嬉しくて楽しくて、こうして一文をしたためてみた。
最近のコメント