2020年筮(冬至の日に)
今年も冬至に来年の年筮を立ててみました。易者の間では、冬至の日に翌年1年の運勢を占う「年筮」を立てるという習わしがあります。
その前に、去年立てた年筮と今年1年の振り返りを。
去年得た卦は「山風蠱」の三爻変でした。その詳細は去年の書込みを見ていただきたいのですが、そこで僕は、今年は流れが大きく変わるとき、古きものが終わり新しきものがはじまる、というふうに解釈しました。面白いことに、一昨年立てた年筮も同じ「蠱」。なので、易の神様に「今年は新しいことにチャレンジして流れを変えんとあかんかったのに、もひとつでんな。ほたら来年もっかいやりなはれ。」ってハッパかけられたんだろうと解釈しました。
で、結果はどうかと言うと、一晩寝たら年筮の得卦も易の神様の言葉もすっかり忘れ、特に新しいことに頑張ってチャレンジ、ということもしなかったような気がします(^^;; 何のための年筮だ!(笑) まあ新しいことと言えば、旧知のヘイズ中村氏が声をかけてくれて、彼女が主催する「FortunaMoon神秘の大学院」で紫微斗数の講座をはじめたこと、風水の師匠が紫微斗数の講座をはじめたので、それに参加して、また東京通いを再開したことでしょうか。でもまあ占術の講座は毎年新しいものになったりするし、特段「新しいチャレンジ」と大見栄を切って言うことでもありません。それ以外は平穏な1年でした。
ただ、この1年はマンネリでもないのでしょうが、何事も面倒で、どうもヤル気が出ない、というところはあったかな。老人性鬱かとも思ったけど(笑)それほどのことでもない。そういう意味で「蠱」だったのかも知れません。「蠱」 は皿の上に虫がわくという字で、腐る意味もあります。なんか気分がクサっていたのかも知れません。面倒さに負けずに果敢にものごとにチャレンジしなければならなかったかな、と。これは今年の反省です。
さて、来年を占って得た卦は「損」の二爻変。
これを見て、ああなるほどな、と、ひとり納得してしまいました。
これに先立ち、来年に向けて3つほど目標を立てたのです。そのうちの2つは、いろんな意味で「片付ける、整理する」という意味を持っています。断捨離と言ってもいいでしょう。目標を持つ人生とはオサラバしたつもりなのですが、いつまでたっても片付かない。このままだらだら放置してもどうしようもない。それこそ蠱 (くさ)ってしまいます。そこで来年は一大勇猛心をふるって片付けよう、と。少なくとも着手して何らかのケリをつけようと思ったのです。
三浦國雄氏の易経によれば、損には(1)下を損(へら)して上に益(ま)す。(2)剛を損して柔に益す。(3)満ちたるを損して虚なるに益す。の3義があるということです。減らすことは片付ける、整理する、断捨離に通じます。来年は片付けるべき懸案課題に向き合う年になりそうです。卦辞の「孚有り」を三浦氏は「捕虜を獲る」と訳しているので、そうすることで何か得物、成果を得るのかも知れません。
また二爻の爻辞には「征けば凶」とあるので、なにごとも自分からガツガツと手を出すのはよくない。来るのを待っている、という1年なのでしょう。来るのを待つということは、裏を返せば依頼されたことについては誠意をもって当たれということです。来年はそのことを心がけたいと思います。
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