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2011年5月

2011年5月 8日 (日)

星を生きる(2) 「自己実現」

一時、自己啓発関係の書籍にはやたら「自己実現」という言葉が使われていたことがります。ですのでこのような言葉を持ち出すと、何か面映いものを感じてしまいますが (^^;; また、学派や研究者によっても微妙に意味や捉え方が異なるところもあります。しかしユングフリークの私としては、ユングが言った「自己実現」には、やはり拘ってしまいます。

ユング心理学で言う自己実現とは、まさにself realizationすなわち、自己(self,Selpst)をリアルにすることです。(ここで言う「自己」とはユングの元型概念の「自己(self,Selpst)」です。)またユングはそれを「個性化(Individualization)」と呼んでいました。in-dividualつまり自分がこれ以上分ちがたきものになり、それと向き合うこと。

こう書くと、ユングに馴染みのない方には、よくおわかりいただけないかも知れませんね(^^; まあ平たく言えば、「自分が自分になること。それぞれの人が各々自分らしく生きること。それが人生の究極の目標なのだと。」というふうに私は理解しています。

人生いろいろありますが、自分が本当に自分らしく生きるということ、それが人にとって最高の幸福なのではないでしょうか?
自分を偽って生きることほど不幸なことはありません。

この世に2人として同じ人はいません。
人、それぞれ持ち味があります。
その持ち味を生かし、あなたでもない、彼でもない
自分が自分の人生を生きる。

それが幸せなのではないでしょうか?

臨済禅師の言葉に「随所に主となれば立処皆真なり。」というものがあります。

「いつどこにあっても、如何なる場合でも何ものにも束縛されず、本当の自分、あるがままの自分として行動し生きていくならば、何ごとにおいても、いつ如何なるところにおいても、真実を把握できる。」という意味なのだそうです。

本当の自分であることができれば、何者にも翻弄されず、その場になりきって余念なく、それがそのまま悟りの境地なのである。

ということでしょうか。

なかなか我々凡夫は、このような禅の高僧の悟りの境地にはとても至りませんが、私なりに、前項に書いた「星を生きる」ということは、このようなことではないかと思うのです。

私事を述べて恐縮ですが、私の前半生は、自分の紫微斗数命盤の示すところに、いささか逆らって生きてきたようです。その点では、なかなかにしんどい人生でした。

半世紀を生き、あるとき開き直って、命盤の星の象意どおりに、ということは即ち、自分らしく生きてみようと思ったのです。

思った瞬間から歯車が回り出しました。
どうも自分らしく生きる者に、運命は強く後押しするようです。

ぱたぱたぱた、と僕の話を聞きたいという人たちが現れ、自分でも忘れ去っていた、十数年前に書いたテキストを復刻し、講習会も6期を数えるほどになりました。ささやかですがこのようにブログも開設し、また得難いご縁をいただき、貴重な資料や、普通では得ることのできない秘伝書も、自然に集まってきました。

星に従って生きるようにしたとたん、運命が回り出したのです。

30年前の私に今の紫微斗数の知見があったのなら、ずいぶんと違う人生を送っていたんだろうな、と思います(笑)

「星を生きる」ということ。
自分が自分であること。
他ならぬ、この世に2人といない自分が自分らしく自分であること。
自分としてこの世界に存在するだけでいいこと。
それが幸せなんだということ。
それがユングの言う「個性化」であり「自己実現」なんだと、私はそう解釈しています。

それらのことを紫微斗数の命盤は指し示してくれます。
もちろん、ひととおりの読み方では、その人の特色と性格しか読めませんが、多重に、多層的に命盤を読むことで、そこのところがわかってきます。

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星を生きる(1) 「自分を知る」

村野大衡氏の著作に、我が意を得たり!と、はたと膝を打った一節があります。
一部引用させていただきます。

>>星の光亮度は六ランクあります。紫微斗数では一般的に、星の光亮度が低く(暗く)なることをよくは言われていません。では光亮度が低いということは即、悪いことにつながるのでしょうか?実際に鑑定してみると、命宮の主星が「弱」や「陥」であっても大成功している人を多く見かけます。それはどうしてなのでしょうか?光亮度が低いけれども成功している方を鑑定すると、必ず共通する三つのポイントがあることに気づきました。そのポイントは次のとおりです。

>>☆ 星の象意に合った仕事、考え方をしている。
>>☆ 努力を継続している。
>>☆ チャンス時期(タイミング)を活かしている。

>>この条件に当てはまっているかどうかがポイントだと思います。これは鑑定をしてみると非常によくわかることです。私の「陥」についての捉え方は“悪い”のではなく、“本人がその星をどうコントロールすればいいのか理解していない状態”だと思っています。理解していない、わかっていないのですから、最初から苦手意識となり努力しなくなるという悪循環となるのです。

>>星の光亮度が低くても、星の象意を理解して、努力を続け、命盤上のチャンス時期に結果が出るような行動をしていれば、必ず成功できると思います。実際の鑑定でもその点を十分に伝えると、皆さんグングン伸びていきます。

( 「紫微斗数命理学」村野大衡著 東洋書院 2007 pp.124 )

人にはそれぞれ個性、持ち味があります。その持ち味をどう生かして使うのか、それが人生の要訣のように思うのです。

私も若い頃は何にでもなれると思っていました。どのような人間にもなれるし、どのような人生も送れるのだと。人間は努力さえすればいかなる成功をもおさめ得るものであると。

しかし一方で、自分の力や努力ではどうしようもない壁や「運命」というものにぶち当たり、どうしようか、と悩むのも事実です。私も人生の折り返し点を過ぎる年頃になり、あらためてそのような人生の難しさを感じています。

人はどのような人間にでもなれるものではないのだ、努力しても時にそれがかなわぬこともあるのだ、という。

しかし、だからと言って人生を投げてしまうわけにもいきません。私も齢を重ねるにつれ、努力は決して無駄なのではなく、努力の向け方、力のベクトルの方向性が大事なのだということに気づくようになりました。つまり、あさっての方向に向かっていくら力をこめて踏んばってもだめで、意味のある方向に有効に力を使わなくてはだめなのだと。

私は人生の途中で運命学に出会いました。この「力のベクトルの方向性」を、運命学的な言葉で言い換えると、次のようになるでしょう。

人は生まれ持った特質があるわけで、その特質にかなわぬものを求めても容易にはかないませんし、逆に特質に沿った望みならば容易に達成できる。大局的に言うなれば、星の象意にしたがった生き方が「その人らしい」生き方なのであり、それに逆らうような生き方は「その人らしくない」生き方となるのです。
持って生まれた特質は、その人の持って生まれた「持ち味」なのです。

特に中国の命理学に言えることですが、いささか命式・命盤の吉凶成敗富賤富貴を決めつけてしまう傾向が強いようです。でも、よく考えてみると、その人の個性、持ち味は千差万別、その人それぞれにそれぞれで、この特質が吉でこの特質が凶であると、簡単に言い切れるものではありません。

これを俳優に例えて言えば、
ピーター・オトゥールがアーノルド・シュワルツネッガーになろうとしてもそれは無理だし、オードリー・ヘップバーンがマリリン・モンローになろうとしても、それは個性にそぐわない。
どちらが良いとか悪いとか言うのではなく、オードリーにはオードリーの良さが、マリリンにはマリリンの良さがあるのです。

「梅の木」がいくら「桜」にあこがれても、桜の花を咲かせることはありません。また逆に「桜の木」がいくら「梅」を羨んでも、梅の花を咲かせることはできません。しかし桜には桜の、梅には梅の美しさ、良さがあるのであって、桜の木として生まれたなら、いかに立派な桜の花を咲かせるか、梅の木に生まれたなら、いかに立派な梅の花を咲かせるか、ということに専念するのがよいのです。

自分の持ち味は何か?
自分はどんなタイプなのか?
では、自分の良さは何か?
自分は何を目指せばよいのか?
これは紫微斗数の命盤を見ればすぐにわかること。

西洋占星術でもそうでしょうが、紫微斗数をはじめ「命」の占術では、その人の性格、その人の特質、得手不得手などの特質を見ることができます。さらに、それだけではなく、その人の人生で、どの方面を大事に考えて生きればいいのか、いつチャンスが訪れるのか、いつ危機が来るのか、また弱点を克服するためにはどうすればいいのか、ということまで示してくれるのです。

その助言に従って生きることが、すなわちよりよい人生を生きること(平たく言えば開運法)になるのだと思います。これを文学的に表現すれば「星を生きる」こと、「自分の星を輝かせる生き方」をすることだと言えるでしょう。

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