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2010年8月 5日 (木)

ユングの赤の書

を買ってしまった。。

数ヶ月前、梅田のジュンク堂で発売予告のポスターを見た、
おおっ!赤の書!!

いよいよこの本が翻訳出版されるのか、という思いと同時に
その値段にも目を見張った。
定価42,000円、今年の12月までなら特別価格37,800円
う〜ん(^^;;
占術の世界に足を突っ込むと、ン万円の書籍を買うのは
マレなことでわないんだけど、やっぱサラリーマンにはきついよなあ。

でも買っちゃった(^^

て、ユングフリークでない人にわ何のことやら、でしょうなあ。
さーせん。

ユングがフロイトと決別した後、彼は激しい方向喪失感に見舞われた。
その中で彼は自分の無意識と葛藤し、格闘した。
その葛藤の中で心の中から湧き出て来るイメージを
まず「黒の書」というノートに綴り、
そして「赤の書」というノートに整理した。
いわばこれわユングの無意識との葛藤と対決の現れである。

そんなノートがあることを、ユングは自分の日記にも書いているし
多くのユング心理学の解説書にも書かれている。
しかし、そのノートそのものは出版されることはなかった。
まあ、言ってみれば極めて私的な内的日記、みたいなものである。
人に見せようとわ思わんだろう。
でも有名人はつらいよ。
死後、その日記が公開され出版されてしまうのだ。

ただ、この本の解説を読むと、生前ユングはこのノートの公開を
考えていたようなことが書いてある。
ならば、やっとユングの本懐が遂げられたということか。

何わともあれ、赤の書を手に入れた。
まだゆっくり読んではいない。
だが、2〜3ページパラパラとめくり、眺めただけで
このノートの意味を理解した(ような気持ちになった)。

同時に30前(もう30年も経ったのか!)
僕が20代前半の頃のことがよみがえってきた。

ある時突然、イメージの世界から山のような言葉が僕に舞い降りてきた。
それわ降り注がれた、と言っていい。
山のような言葉たちが僕に降り注いできたのだ。

僕に芸術的な天分があったなら
そこから詩を書き、絵を描き、音楽をつくり、
あるいは物語を綴ったであろう。
しかし悲しいかな、僕にはそんな才能はない。
僕は途方にくれ、ひたすらその言葉を、
そこらへんにある紙切れに書き留めるしかなかった。
それがなくならないように。
どこかに行ってしまわないように。

僕はその言葉のシャワーを整理し
「青のメモ」と「赤のメモ」と名付けたメモにまとめた。
もちろんユングの「黒の書」も「赤の書」を見たことがあるわけではない。
だが、「そんなもの」があるのは知っていた。
たぶん、それになぞらえたのだろう。

僕にとって、その「青のメモ」と「赤のメモ」は、その後の僕の人生観、
世界観を決定づけるものとなった。
それにより、長い間わからずに悩んでいた疑問が氷解した。
また一方、いまだにさっぱり意味がわからないものもある。
自分で書いたものに教えられたり、その意味がさっぱりわからなかったり
なんだか妙な話だが、これを書いたのは自分であって自分ではないのだ。
僕はただ頭の中に下りてきた言葉を
ひたすら書き留めただけなのだ。
(でも所謂「自動書記」というのとも違うと思う)

「赤のメモ」はただ2人の者に
「青のメモ」は4人くらいの者に見せたのみである。
やはり簡単に他人に見せられるものではない。

その後「青のメモ」をもとに、詩とも散文とも物語ともつかない
わけのわからない駄文をしたため同人誌に発表した。
(その同人誌は結局創刊号が最終号になってしまったが(^^;;; )
これもユングの「死者への七つの語らい」になぞらえたのだろう。
その頃の僕はユングにあやかりたかったのかも知れない。
でも、そうなぞらえるのが一番ピッタリきたんだもの。
ユングは後年
「七つの語らい」を公表したのは若気の至りであったと後悔したと言うが
僕も今になってその気持ちがよくわかる。
僕のその駄文も、今思えば、全くもって若気の至りである。

だが、ユングの赤の書を手に入れ、それを開いただけで
僕にとって「赤のメモ」と「青のメモ」は
ユングにとっての「黒の書」「赤の書」と
同じ意味を持つものだったのだ、ということがわかった。
もちろん内容から言うと、僕のメモは質も量も
ユングの赤の書に比ぶべきもない、全く稚拙でおそまつなものだ。
ただ自分にとってのその意味が
同じくらい大事なものであるということなのだ。
それをわからせるために「赤の書」はうちに来たのだ。

僕は僕のメモをもとに、その内容を
もっと誰でもがわかるようなかたちにして表現したいと
ずっと思ってきた。
ずっと思って30年が経った。

代わりになぜか占いのブログなんかを書いている。
僕にとっては紫微斗数も
そういうもの
つまり、ある意味、芸術的創作活動なのかも知れない。

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コメント

> 紫微斗数も、ある意味、芸術的創作活動なのかも知れない。

 四柱推命学ではなくて 
 算命学を芸術的創作活動的に ほぼ完成させた人物がおりました
 それは
 台湾の恩人・人間の星の主宰者・故・西川満先生かも知れないですね。

 ・・・・・少し ほろ酔いの中  なんの意図もなく
 ・・・・・なんとなく 思い出し感想を 述べてみました・・・失礼いたしました・・・

     

投稿: はいはい | 2010年8月23日 (月) 20時37分

はいはいさん(^^

 西川算命ですね。
 「人間の星」僕の手元にも複写があります。

 まあ、術数の運用はすべからく
 芸術的創作活動、詩的活動なのかも知れませんね。

投稿: 椎羅 | 2010年8月24日 (火) 23時09分

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